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第2回日本医療用光カード研究会論文集、19-22、1991年

[シンポジウム3]

効率的資源配分の観点からみた投薬システムの分析

一費用便益分析による医薬分業・ICカード.集中情報処理システムの比較一

○根本正樹・田中 滋
慶應義塾大学 経営管理研究科大学院


1.問題意識

 投薬はまぎれもなく医療の一部を構成しており、しかもその内容を考慮すると、比較的大きな役割を占める重要な行為といえる.しかし、残念ながら日本では今までこの投薬システムについてあまり議論がされておらず、したがってそのチェック機構もほとんど働いていない。最近になり、医薬分業の推進にともない、ようやくその重要性が認識されはじめてきた。
 良質な投薬システムの条件には、経済的インセンティブや在庫に左右されない適正な薬剤の処方、適切な服薬指導などいくつか考えられるが、もっともプライオリティの高い条件は、薬歴管理と思われる。つまり的確な薬歴管理のもとで重複投与・相互作用などのチェックが果たされる体制は、良質な医療の実現には最低限クリアしなければならない必要条件といえる。その意味で理想的な医薬分業が、この条件をクリアする一つのシステムであることに疑う余地はない。では良質な投薬システムの実現には、単にこの医薬分業を行えば良いかというと、問題はそう簡単ではない.経済学の立場からは「効果的な方法であればただちに実行すれば良い」と単純に結論づけるわけには行かない。なぜなら、それだけでは効率性の観点が欠如しているからである。社会に存在する資源の効率的配分・使用もまた、効果とならんで良質なシステムの条件と考えられる。とりわけ、医師により処方される医薬品も公的保険制度の支払い対象である以上、資源の浪費は許されるぺきではない。したがって、同じ目標に対し効果をうむ代替的諸案を検討し、どのシステムが最も効率的であるかを探る作業は、現在極めて重要な意昧を持つ。本研究はこの問題に対して費用便益分析を適応し、各種投薬システムの活用率ごとにそれぞれの優位性を比較考察した。

2.良質な投薬システム:代替案の検討

 薬歴管理、重複投与、相互作用などのチェックを所与の目的として良質な投薬システムを考えると、実現性から見て「医薬分業」、「ICカードの利用」、「集中情報処理システムの利用」の3つが候補となる。

2.1.医薬分業

 ここで取り上げる医薬分業は、現在往々にして行われているような本質の薄い形骸化された「医薬分業」ではなく、薬歴菅理、薬のコンサルティング、医療機関の経済的インセンティブや手持ちの薬剤に左右されない処方、そして薬の待ち時間の短縮などの利点を確実に提供する面分業を指す。

2.2.ICカード

 ICカードの利用による薬歴管理は、すでにいくつかの地域及び施設で実験的に行われている。基本的には、ICカードを各個人が所有し、そのカードの中に個人の医療と検診の結果を時系列的に記録し、保存するシステムである。ただしカードの破損、紛失を考慮し、誰が、いつ、どこで、診療もしくは検査を受けたかという基本情報のみ別のコンピュータ(仮にホストコンピュータとする)で管理する。

2.3.集中情報処理システム

 集中情報処理システムの利用目的は上記ICカードと同様である。ただし、ICカードが情報分散型システムであるのに対し、このシステムは通信回線を使い、憤報を一か所もしくは数カ所に集め管理するところが異なっている。診療現場では端末のコンピュータを使い、ホストコンピュータより必要なデータを呼び出し、診療に利用する。こうしたシステムは、すでに一部の大学附属病院において院内システムとして活用されている。情報機器メーカーに対するインタビューでは、範囲を二次医療圏とすればシステム導入は技術的に可能との回答を得ており、この方式も実用への妥当性は高いと考えられる。

3.効率性の検討:費用便益分析

 上記3施策のうち、どれが消費者にとって最も医療資源の効率的使用となるかについて、経済学的な分析を試みる。分析手法には費用便益分析を採用し、3施策を比較検討する。分析を行う前提として次の条件を設定する。
 まず第1に、実際には各施策とも導入に当たり政治的・社会的にいろいろな困難が予想されるが、すべてコンフリクトや妥協なしで計画が実現し、しかも導入後も目的に対し予定通りの形で運営されていくとみなす。
 第2に比較期間を5年間とする。これは現在のコンピュータシステムの一般的な償却期間に合わせた設定である。

3.1.費用と便益

 各施策の費用と便益の具体的な内容を各項目ごとに説明する。

3.1.1.医薬分業の費用

 医薬分業によって消費者が負担しなければならない費用は、システムの維持費的性格の強い次の2点に絞られる。
 第1は個人と各保険者(公費負担も含めて)が負担しなければならない費用、具体的には医薬分業によって増える診療報酬と調剤報酬である。第2は医薬分業後、増加すると思われる患者の手間及び時間である。
 第1の医療費増のうち診療報酬部分は、処方箋料と処方料の差額であり、現行では処方箋あたり500円(乙表)となっている。ただし医薬分業を推進するためには、この差額の妥当性を確かめる必要があろう。なぜならば一般病院の多くでは事実上薬価差益の存在が欠かせず、現実問題として医療機関の処方を院外に出すには、処方箋料と処方料の差額が現在の薬価差益をある程度補填できるか否かを検討しなくてはならないからである。これを1処方あたりの平均薬剤料、平均薬価幅、医療機関の医薬品取り扱いに伴い発生する費用より求めると、医療機関において医薬品取り扱いにより生じる1処方あたりの差益は440円となり、上述の差額500円は、病院の薬価差益分を十分にカバーしており、医薬分業の推進過程における金額として計算に用いる決定の妥当性が証明された。
 調剤報酬差異については、外来に限って試算すると調剤薬局と病医院内との調剤にかかわる診療報酬の差額(乙表)は、1処方あたり平均870円となる。
 次に医薬分業後増加すると思われる患者の時間費用については、労働賃金をもとにした機会費用ベースで計算すると、1時間あたり平均的機会費用は798円となる。したがって、本研究では1時間あたり平均的機会費用を800円とみなす。医薬分業になって増える必要時間(薬局までの往復に要する時間)を20分と仮定すると、1回の受診ごとの負担コストは約270円となる。
 以上より100%医薬分業(処方箋枚数を10億枚と仮定)が実現すると、増加費用の総額は15,104億円と計算される。
 医薬分業に関する費用は消費者にとってすべて変動費であり、どの分業率でも限界費用は変わらない。

3.1.2.ICカードの費用

 ICカードの導入にかかる費用は以下の6項目である。

 1)ハードウエアの費用
  [1]端末機
  [2]ICカード
  [3]ホストコンピュータ(データバックアップ用)
  [4]ホストコンピュータ設置施設の敷金と改装費用
 2)ソフトウエアの費用
 3)補修費用(保険料)
 4)人件費
 5)ホストコンピュータのための通信費
 6)ホストコンピュ−タ設置施設の賃借料

 費用の具体的試算は、導入過程については兵庫県淡路島の五色町を参考にし、金額は大手コンピュータ・メーカー2社へのインタビュー調査により求めた。ただし、ホストコンピュータの設置などを考慮に入れ、2次医療圏を1つの単位とした。そして全国345のすべての医療圏を人口、医療機関数により八つのタイプに分け、それぞれにICカードシステムが導入されると仮定の上、計算を行った。この試算ではICカードの活用率が100%の場合、初期投資額は1276億円、その後毎年2601億円の費用が必要となる。ICカード導入の費用は、ほとんどが固定費的性格を有しており、変動費部分はICカード代のみである。

3.1.3.集中情報処理システムの費用

 集中情報処理システムの導入にかかる費用は以下の6項目である。

 1)ハードウエアの費用
  [1]端末機
  [2]磁気カード
  [3]ホストコンピュータ
  [4]ホストコンピュータ設置施設の敷金と改装費用
 2)ソフトウエアの費用
 3)補修費用(保険料)
 4)人件費
 5)通信費
 6)ホストコンピュータ設置施設の賃借料

 費用の具体的試算は、A大学附属病院での集中情報処理システム導入時の過程を参考にし、ICカード導入の場合と同様に大手コンピュータメーカー2社へのインタビュー調査により金額を算出した。試算単位もICカード導入と同じく2次医療圏単位である。
 集中情報処理システムは活用率が100%の場合、初期投資額137億円の他、毎年3618億円の費用を要する。集中情報処理システムも、ほとんどが固定費的性格を有しており、変動費分は磁気カード代のみである。ただしICカードより価格の安い磁気カードを使用するため、集中情報処理システムは固定費的性格がより強くなっている。

3.1.4.医薬分業の便益

 医薬分業の便益は以下に示す5項目である。

 1)薬歴管理
 2)薬の相談
 3)薬の選択幅の広がり及び処方薬の適正化
 4)病院の薬局での待ち時間の短縮
 5)薬剤の重複投与削減

 この便益のうち、1)〜3)については一般的な市場においては価格のつかない項目である。したがって、これら不可測な項目の価値付けのため、本研究では「自発的支払い額」の手法を使用した。すなわち、医薬分業に詳しく、しかも立場が中立でかつ時間価値に著しい高低がないと思われる24人(主に医療ジャーナリスト)に対するアンケート調査により、上記3項目の価値付けを行った。結果は薬歴管理1回につき365円、薬の相談は311円、処方薬選択の幅の広がりは417円の価値が見いだされた。便益の4番目の項目である待ち時間の短縮化については病院での待ち時間を1時間、診療所での待ち時間を15分と仮定し、算出した消費者の機会費用を用い年間約1900億円という値を得た。5番目の重複投与削減による薬剤費節約は、厚生省保険局編「診療状況実態調査報告1989年度版」により、他受診状況とその入院外総点数に占める割合から年間約1800億円と算出した。

3.1.5.ICカードおよび集中情報処理システム利用の便益

 ICカードと集中情報処理システムの便益は基本的に同じであり、以下の3項目である。

 1)薬歴管理
 2)健康管理
 3)薬剤の重複投与の削減

 上記便益のうち1)薬歴管理と3)の薬剤の重複投与の削減に関しては医薬分業の場合と同様である。また2)の健康管理はやはり「自発的支払い額」の手法に基づいて、1回の健康管理に対し500円の価値が割り当てられている。

3,2.シミュレーション

 上記費用と便益の具体的数値を使い、以下のようなシミュレーションにより3種類の施策の効率性を比較検討した。
 各施策について全国一斉導入と2次医療圏単位の導入とを想定し、それぞれにつき次の4ケースのシミュレーションを行った。

 1)各施策が100%強制されたケース
 2)各施策の活用率が50%のケース
 3)各施策の活用率が30%のケース
 4)医薬分業が最も効率的となる活用率を算出するケース

 ただし、2次医療圏でのシミュレーションは表−1のようにタイプを分け試算した。

表−1 シミュレーションにおける地域のタイプ
タイプAタイプBタイプCタイプD
人口(万人)103050100
総合病院数1246
一般病院数6153051
診療所数45110230450
歯科診療所数2560140300
タイプEタイプFタイプGタイプH
人口(万人)150200250300
総合病院数10131532
一般病院数64128135210
診療所数800125013002500
歯科診療所数5508008201600

3.3.シミュレーションの結果

 シミュレーションによる全国導入と2次医療圏導入の結果は以下の順で効率性が高いといえる。

1)全国導入の場合

活用率123
100%ICカード集中情報システム医薬分業
50%ICカード集中情報システム医薬分業
30%ICカード医薬分業集中情報システム
医薬分業が優位性を発揮するのは活用率が概ね25%以下の場合である。

2)2次医療圏導入の場合

活用率123
100%
タイプA
タイプB〜H
 
ICカード
集中情報システム
 
集中情報システム
ICカード
 
医薬分業
医薬分業
50%
タイプA〜H
 
ICカード
 
集中情報システム
 
医薬分業
30%
タイプA
タイプB〜H
 
医薬分業
ICカード
 
集中情報システム
集中情報システム
 
ICカード
医薬分業
医薬分業が優位性を発揮するのは、活用率が20%以下の場合である。

 以上より効率性の優先順位による導入の仕方についてまとめてみると表−2のようになる。

表−2
活用率123
全国導入
 100%, 50%
2次医療圏導入
 100%(タイプA)
 50%(タイプA〜H)
 30%(タイプB〜H)
ICカード集中情報
処理システム
医薬分業
全国導入
 30%
ICカード医薬分業集中情報
処理システム
2次医療圏導入
 100%(タイプB〜H)
集中情報
処理システム
ICカード医薬分業
2次医療圏導入
 30%(タイプA)
医薬分業集中情報
処理システム
ICカード
医薬分業が優位性を発揮する活用率(全国導入)は概ね25%以下の場合である。
医薬分業が優位性を発揮する活用率(2次医療圏導入)は概ね20%以下の場合である。

4.考察

 効率的資源配分の観点から見ると、エレクトロニクスの発達した現時点では、良質な投薬システムを相対的に低い費用で幅広く実現する方式はICカードもしくは集中情報処理システムとなる。この事実認識は重要である。本研究では便益側は基本的に共通化されているため、仮定の違いによる影響は小さいと考えて良い。ましてやこれからの技術進歩と機器及びカードのコスト低減を考えると、費用面では医薬分業とエレクトロニクス型との間に一層の差が予想される。つまり医薬分業にこだわる対応は、初期投資額のファイナンスにかかわる問題を別にすれば、資源配分上あまり好ましくない。しかしここでの結果は、あくまで効率にかかわる検討技法たる費用便益分析に基づく評価であり、医薬分業の有用性を否定するものではない。ICカードや集中情報処理システムの導入は、施策の性格上、ある一定範囲で一斉に導入がはかられなければ、その目的の達成は危ぶまれる。これに対し、医薬分業は部分導入でも一応は機能し、しかもより変動費的性格が強いため、徐々に導入することも、環境にあったフレキシブルな運用も可能といえる。したがって、これらの施策を考える際、法的強制力を利用する強制導入とするか否かで問題を区別する必要も考えられる。この他、医療情報の漏洩などの問題もあり、医療政策にとって効果や効率とともに重要な価値観である公平、公正、自由などの観点から見ると、別の結論が導かれる可能性もある。


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