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第7回日本光カード医学会論文集、13-14、1996年

[特別講演]

急速に進展する医療の情報化の展望

田中博
東京医科歯科大学情報医科学センター

1.はじめに
 時代を画する変化は大半の人々の意識に上らない裡に着々とその到来を準備すると言われる。この言葉は、現在進行している医療の情報化に関しても当てはまる。現在現われている多くの動きが近い将来の医療の大規模な変革を準備しつつある。
 最近の医療情報の話題は、現象的には「電子カルテ」と「遠隔医療」である。しかしこの中に医療の情報化の最近の重要な動向が見られ、これらは結実して近年中、おそらく5年以内に急速に展開するであろうと思われる。我々は本格的な医療の情報化の前にいるのである。

2.医療の情報化の最近の動向
(1)病院情報システムの診療指向的展開
 電子カルテの概念はすでにElectronic Patient Record(EPR)として長い歴史を持つ。病院情報システムの世代論においても、第1世代は医事システムや検査部システムなどの部門別システム、第2世代がオ一ダーシステムを中心とした業務型総合情報システム、次に第3世代として電子カルテを中心とした診療指向総合病院情報システムへという業務指向型HISから診療指向型HISに流れは近年定着しつつある。この意味では医療における<病態一診療行為>情報の統合的環境としての電子カルテは病院システムにおける診療支援機能の充実の観点からも自然な発展といえる。
(2)医療情報のマルチメディア情報化
 検査などの数値、病名などのコード、心電図などの波形、心音などの音、X線などの静止画、超音波などの動画など医療情報は元来マルチメディアである。しかし、これまでのコンピュータ技術の発展は遅く、これらを統合して扱う情報環境がなかった。近年のマルチメディア情報技術の発展によりやっとそれを統合的に扱う環境が整いつつあるといえよう。例えば最近のWWW等に見られるインターネット技術すなわちHTMLとマルチメディアデータベースをCGIで連結するシステムやJavaなどを院内のLANにおいて実現するに病院イントラネットワーク(Web‐based HIS)はこれまでのように重い病院情報システムとは違った新しい病院情報システムの姿を示している。
(3)医療情報の共有化を通したInter Hospital Careの実現
 カルテの電子化に加わった最近のもう1つの流れは、電子カルテシステムの共通の形式を定めることを通して診療情報の共有化を計るという動きである。これに対する関心の高まり、平成7年度第一次補正予算で電子カルテ開発事業が厚生省によって予算化されたことにも起因している。このプロジェクトの基本は、医療情報の共有化と診療情報の恒常的で多量な収集を可能にすることによって、医療体制の質の向上と効率化を計る点にある。医療情報の共有化の目的は、患者のケアする複数診療施設間の連携を可能にするという点にある。筆者はこのことをinter-hospital careあるいはcareのinter−hospitalizationの実現と呼んでいる。
(4)医療情報の階層的標準化の構図
 これを実現するためには多くの必要条件がある。一言に標準化といっても多くのレベルがある。さきの厚生省の電子カルテプロジェクトでも、カルテ構造、診療プロセスの表現方法、用語や表現の体系化、セキュリティの検討などの小委員会が活動している。診療施設間で患者情報を転送するためには、(a)物理的媒体とネットワークプロトコルだけでなく(b)診療データフォーマット(SGMLなどで定義する医療のDTD)、(c)その記載文法(HL7)であり、さらに内容は(d)それぞれの分野での夕一ミノロジーで記載しなければならない。例えば検査の場合、JJLSAの定めたコードである。これらを通して医療情報の階層的標準化の構造が見えてきたといえる。
(5)診療のオブジェクト指向タスク分析への認識
 しかしターミノロジーの標準化だけでなくその文脈すなわち診療と情報発生のコンテキストが記載されなければならない。これらの標準化の基礎になるのが診療行為とそれが発生する情報の構造論が医療情報の基礎として必要であることが認識されてきている。
 その先端的例がDICOM3.0などの画像規格標準である。DICOMでは画像情報を取り巻く診療行為と患者情報に限定されているとはいえ、オブジェクト指向分析の概念で記述している。その中での行為や情報はIOD(Information Object Definition)で定義され、これらのinventoryがinter-hospital careを実現している。このような分析の上に病院情報システムも全体として普遍化されるであろう。その例は例えばHelios計画などに見られる。EECの技術振興策の一つとして次世代マルチメディアHISのためのオブジェクト指向環境としてBroussais大学病院、ドイツ癌センタ、ジュネーブ大学病院らが協同開発している。オブジェクトとしては医師看護婦を表すactors,処置やデータ取得を表すactivities、症状や診断を表すconcepts、文章、図、表等を表すentity representasionの4つからなっている。特徴は、データと処理だけでなく<推論>を実現している点である。Event駆動型の手続きがDBのオブジェクトに書き込まれている。例えば内科医が腎臓病の処方箋を書くとプロシージュアが年齢と腎臓機能をチェックし(プロダクションルール型のメソッド)、またその患者の薬の禁忌を調べる、などができる。これらが処方オブジェクト内で定義されている。
(6)遠隔医療とVirtual InterHospital
 「情報スーパーハイウェイ」が新聞紙上を賑やかすことが多い。2010年までに全国を各家庭に至るまで(FiberToTheHome:FTTH)高速の光ファイバー網でつなぎ、これをマルチメディア情報を流すことである。そもそもこの計画は、米国のゴア副大統領がHPCC(High Performance Computing and Communication)計画で定めたことの日本版であるが、この中で最も益を受けるのは医療であるといわれている。その基本はATM方式のギガネットワークである。遠隔医療も単なる静止画像伝送による遠隔診断から遠隔動画伝送、さらには遠隔手術にいたる発展を遂げるであろう。このようになると、病院は専門診療部門を持つ必要もなくなる。専門診療部門はネットワーク上に分散され、病院の一体はネットワーク上にしかない(Virtual InterHospital)ということが起ころう。
(7)計算医学の発展
 これまでの情報システムと違い、実質的な医療・医学に関係することであるが、計算医学Computational Medicineの発展が著しい。コンピュータの高速化に伴い、これまで不可能であった課題が実現しつつある。そのことは米国の国家的プロジェクトであるHPCC(High Performace Computing and Communication)計画においても、(1)ガン遺伝子の計算機による発見、(2)医薬品の分子設計、(3)デジタル形態学(3次元画像とバーチャルリアリティVR)、(4)蛋白質機能予測を21世紀のスーパーコンピュータのグランドチャレンジとしていることからも明らかである。今世紀の医学は「分子医学」あるいは「遺伝子医学」と呼ばれているが、次世紀の医学が「情報医学」あるいは「計算医学」であることは間違いないように思われる。その表れとして計算医学はすでに遺伝子医学の領域も制覇しつつある。ヒトゲノム計画でゲノムマッピングに活躍しているのは高速の計算機であるし、大量遺伝情報の処理は人間の把握能力を越えつつありる。また高速画像計算機の発展はリアルタイムのバーチャル手術システムを可能にしている。

3.今後の展望
 医療情報に関係する情報系は2つある。1つは診療という情報系である。患者という生物学的プロセスから発現する情報を集め、1980年代に発展した病院の言語系と考えられる医療知識の概念システムの内部でこれを把握・記述し、適切な医療行為を決定し他の医療agentと協同し、そしてこれらの医療行為の作用の結果としての患者の病態プロセスを評価する。このような概念=行為の総体が一つの情報系をなしていることは疑いもない。もう一つは当然のことであるが、計算機という情報系である。計算機はいまや単体機械ではなくネットワークやコミュニケーション関連を含め、独自の環境と構造をもった情報系である。医療情報とは、医療という情報系が支援・発展環境として計算機という情報系を取り込んでいく過程であるといえよう。しかし2つの情報系の関与は、必ずしも発展的=整合的ではない。医療一情報系に適合的な構造に計算系を再構成し医療の支援環境と発展契機とすること、これが基本目標である。
 病院情報システムすなわちオーダリングシステムは、旧技術(online transaction processing system)のプラットホームの上に展開されたもので、医療の情報化は極めて不十分であった。その後上に述べたように本来の医療情報の情報系としての構造に相応しい計算通信の情報系が発展しつつある。これらの漸く発展した情報系に加速され、医療の情報化は加速化されている。すなわち、診療のオブジェクト指向分析概念、Interhospital careの基礎としての診療情報の階層的標準化の構図、その上にマルチメディア表現技術、さらに遠隔医療を推進するATMネットワーク、そして何よりも医療医学内部への情報科学の大量の浸透これらが複合され、さらに近年の電子カルテプロジェクトは厚生省の主導ながらこれらの情報化を推進する契機となって、歩みが遅々としていた医療の情報化は急速に進展する兆しを見せつつある。医療が情報化によって再編成される日も近い。

4.医療カードはどのようになるか
 医療カードはどうなるであろうか。高速ネットワーク上の電子カルテの標準化を通した情報共有・患者DB間情報共有が発展すればなくなるのか。おそらくそうではないと思われる。まず患者情報は電子カルテの標準形式が固まったらその部分集合を利用することになるであろう。しかし発達した形態においては患者のデータそのものをカードに蓄積するよりも、患者の基本情報と医療情報ネットワーク上の患者情報のリソースがどこにあるかをカードに記入することになるであろう。また医療情報のセキュリティの問題がネットワーク上の患者情報に関して常に問われる。医療カードは当該の診療施設以外の他の施設が患者情報を見るときの暗号キー情報を書いたものにも成るかもしれない。いずれにせよ、医療カードはネットワーク上の患者情報(Virtual InterHospital)と相補的な役割を果たしつつ発展するものと思われる。


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